歴史めぐり街物語 9 ‐ 9 奈良県 桜井市 9
箸墓古墳 奈良県桜井市大字箸中 現在、宮内庁が「大市墓(おおいちはか)」として、第7代 孝霊天皇の皇女〜倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと〜略称 百襲姫〜ももそひめ)の墓に治定している日本最古級の前方後円墳です。 また、この古墳には別の被葬者のものではないかと言われており、それが長年... 続きをみる
歴史好きで、様々な史跡を巡る紀行ブログです。
箸墓古墳 奈良県桜井市大字箸中 現在、宮内庁が「大市墓(おおいちはか)」として、第7代 孝霊天皇の皇女〜倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと〜略称 百襲姫〜ももそひめ)の墓に治定している日本最古級の前方後円墳です。 また、この古墳には別の被葬者のものではないかと言われており、それが長年... 続きをみる
相撲神社 奈良県桜井市穴師 大相撲 先場所で優勝を決めたのは東の横綱の大の里関でした。 ぼくが推している関脇の熱海富士は…終盤に連敗しての8勝7敗と、大関獲りが解消される結果となりました。…それにしても ここぞと言う時に結果を上積み出来ないなぁ…。 さて、... 続きをみる
安倍文殊院 安倍文殊院 奈良県桜井市阿部 2022年7月9日 安倍晋三元首相銃撃、死亡を報じた奈良新聞の朝刊 2022年7月8日、奈良市内の近鉄、大和西大寺駅前で衆議院選挙の自民党候補者の応援演説を行っていた安倍晋三元首相が凶弾に倒れました。 ぼくがこの凶報を知ったのは、事件当日の7月8日の金曜日... 続きをみる
土舞台 〜日本芸能発祥の地〜 奈良県 桜井市 土舞台 奈良県 桜井市 谷 芸能〜現代では、歌謡から映画、演劇など様々なジャンル、多岐に渡りますね。 日本の芸能の始まりを考えてみると、古来から伝わる神楽などが思いつきますが、これは、農耕民族でもある日本人が五穀豊穣を願い、または収穫を感謝する神事と... 続きをみる
談山神社 御破裂山〜藤原鎌足公 墓所 談山神社 奈良県桜井市多武峯 御破裂山〜藤原釜足公 墓所 奈良県桜井市多武峯 飛鳥時代中期… 645年(皇極天皇4年)6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足の二人による主導により始められた政変劇【乙巳の変〜いっしのへん】は、天皇を凌ぐ絶... 続きをみる
談山 奈良県桜井市多武峰(とうのみね) 摂政 聖徳太子(厩戸皇子)が622年(推古天皇30年)に流行病により死去すると、大臣を務める蘇我氏が横暴な権勢を振るい始めます。 推古女帝の崩御の後を継いだ舒明天皇が13年の治世で崩御すると、翌年の642年(皇極天皇元年)に舒明帝の皇后が「皇極天皇」(こうぎ... 続きをみる
聖徳太子 【厩戸皇子】御像 奈良県桜井市三輪 平等寺 聖徳太子は、飛鳥時代の皇族の1人で、574年 敏達天皇3年、用明天皇の第二皇子として生まれ、后が厩の前で産気づき、太子を出産したため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。 聖徳太子の名は、諡名(おくりな)として、逝去後に贈られた名前です... 続きをみる
仏教伝来の地碑 奈良県桜井市金屋 桜井市内を流れる初瀬川(大和川)一帯は、古くは第10代崇神天皇が崇敬する大神神社近くに宮殿を置いたことから栄え始め、欽明天皇の代には磯城瑞織宮が置かれたことで交易も盛んとなり、古代末期の大和朝廷の政治と経済の中心地でもありました。 欽明天皇13年(西暦552年頃)... 続きをみる
奈良県桜井市… かつて大和国(やまとのくに)と呼ばれたこの地域の中央に位置し、北に天理市。南に明日香村。東に宇陀市。そして西隣には、初代天皇 神武天皇が東征を終えて即位した地、橿原市があります。 桜井市は、他に 歴史、文化に彩られた街は数多く在れど、八百万(やおよろず)の神に代表され... 続きをみる
安倍晋三 元首相 歴史 今日の出来事 2022年7月8日 安倍晋三 元首相 暗殺 三笠霊苑 不動心 安倍晋三元総理大臣慰霊碑 奈良県奈良市川上町三笠霊苑 あれから4年となります。 4年前の2022年7月8日、安倍晋三元内閣総理大臣が奈良市、近鉄大和西大寺駅前で選挙応援演説中に無職の山上徹也に背後か... 続きをみる
蘇我入鹿 首塚 奈良県高市郡明日香村飛鳥 643年 皇極2年 蘇我入鹿は、自らの権力をさらに大きくすべく、聖徳太子の皇子で、有力な皇位継承資格者であった山背大兄王を斑鳩宮で襲撃します。 父、聖徳太子から、【諸の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸の善を行え。】と遺言を遺された 山背大兄王は戦うことを... 続きをみる
東大寺 盧舎那仏坐像 奈良県奈良市雑司町 国宝にして世界遺産に登録された東大寺の大仏さまです。 正しくは、銅造 盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)といいます。 盧舎那仏は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏の意味を表します。 東大寺 大仏殿の本尊として743年 天平15年、聖武天皇の詔(みことのり... 続きをみる
アーティスト紀行 土舞台 〜日本芸能発祥の地〜 土舞台 奈良県 桜井市 谷 芸能〜現代では、歌謡から映画、演劇など様々なジャンル、多岐に渡りますね。 日本の芸能の始まりを考えてみると、古来から伝わる神楽などが思いつきますが、これは、農耕民族でもある日本人が五穀豊穣を願い、または収穫を感謝する神... 続きをみる
安倍文殊院 奈良県桜井市阿部 安倍文殊院 陰陽道 安倍晴明ゆかりの寺院 映画 陰陽師(おんみょうじ)での活躍や、冬季オリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が選んだ劇中の曲名が SEIMEI で、その世界観を体現した見事な演技力と構成により、金メダルを獲得したことにより、安倍晴明の名前... 続きをみる
東大寺 盧舎那仏坐像 奈良県奈良市雑司町 東大寺 国宝にして世界遺産に登録された東大寺の大仏さまです。 正しくは、銅造 盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)といいます。 盧舎那仏は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏の意味を表します。 東大寺 大仏殿の本尊として743年 天平15年、聖武天皇の詔(み... 続きをみる
歴史に名を残した偉人たちは、その業績の善し悪しに関わらず、後世に語り継がれるような言葉や事績を残しているものです。 聖徳太子は、大きく三つの偉業を成しました。 冠位十二階の制度 十七条憲法 仏教文化の導入 ここでは、太子が起草し、形作った日本初の憲法となった十七条憲法を取り上げます。 偉人の言葉 ... 続きをみる
奈良駅 2022年1月29日 大神神社 拝殿 奈良県桜井市
唐招提寺 鑑真和上 開山御廟 奈良県奈良市五条町 仏教の教えにおいて、守らなければならない掟が戒律です。 戒とは内面性の道徳規範のことで、悪事を働いたりしない、善行を行い、他者に尽くす。といったもので、律とは、 教団で守らなければならない内部の規則のようなものです。 仏教伝来後、遣隋使、遣唐使によ... 続きをみる
菅原天満宮 〜菅原氏発祥地 奈良県奈良市菅原町 菅原天満宮 拝殿 学問の神として知られる菅原道真を輩出した菅原氏は、道真の祖父、土師(はじ)古人が改名して菅原の姓を名乗りました。 古代豪族の土師氏の始祖は、角力【相撲】の始祖でもある野見宿彌【のみのすくね】とも言われ、第11代天皇 垂仁天皇の時代に... 続きをみる
歴史紀行 地域版 50 土舞台 〜日本芸能発祥の地〜 奈良県 土舞台 奈良県 桜井市 谷 芸能〜現代では、歌謡から映画、演劇など様々なジャンル、多岐に渡りますね。 日本の芸能の始まりを考えてみると、古来から伝わる神楽などが思いつきますが、これは、農耕民族でもある日本人が五穀豊穣を願い、または収穫を... 続きをみる
興福寺 中金堂 奈良県奈良市登大路町 大化の改新への先駆けとなった乙巳の変で中大兄皇子【後の天智天皇】に従い続け、帝第一の側近として君臨した中臣鎌足を祖とした藤原氏。 その藤原氏の氏寺として創建された興福寺は、鎌足の正妻、鏡王女の宿願として山城国(現在の京都府)に山階寺として創建されたのが前身でし... 続きをみる
興福寺 三重塔 奈良県奈良市登大路町 興福寺境内の南円堂の後方〜南西の隅に立つ三重塔は、平安時代後期の崇徳天皇の中宮、皇嘉門院(こうかもんいん)が創建した北円堂とともに現存する最古の興福寺伽藍で、窪弁才天像を安置する塔内部は通常非公開ですが、毎年7月7日に特別開扉し、弁財天供養が行われます。 三重... 続きをみる
興福寺 南円堂 奈良県奈良市登大路町 藤原氏の氏寺として栄華を極めた興福寺。 その開基は藤原の始祖、中臣鎌足の夫人である鏡王女が鎌足の病気平癒を願い、669年 天智8年に山城国(現在の京都市山科区付近)に山階寺を創建したのが始まりで、山階寺は平城京遷都と共に移転、厩坂寺を経て興福寺と名を改め、現在... 続きをみる
興福寺 北円堂 奈良県奈良市登大路町 興福寺 北円堂は、藤原不比等の没後一周忌の721年 養老5年に元明、元正天皇の命により創建された現存する興福寺 最古の堂宇の八角円堂で、本尊の木造弥勒仏坐像と木造無着菩薩立像、木造世親菩薩立像は鎌倉時代の仏師、運慶により製作され、無着、世親は法相宗の開祖とされ... 続きをみる
興福寺 五重塔 奈良県奈良市登大路町 興福寺 五重塔は、奈良時代前期の730年 天平2年に建立されましたが火災により焼失し、その後も火災、戦災に見舞われて計五度の焼失を経て現在の五重塔は六代目で、1426年 応永33年の室町時代に再建されたもので、高さ50メートルの堂々とした威風を誇ります。 南都... 続きをみる
興福寺 東金堂 奈良県奈良市登大路町 興福寺は、中臣(藤原)鎌足の夫人 鏡女王が病に臥した夫、鎌足の回復を願って山城国(現在の京都)に657年 斎明天皇8年に造営させた山階寺が始まりです。 鎌足の死後、飛鳥に厩坂寺として移転、さらに都が平城京に遷都されると鎌足の子、不比等により現在の奈良市 奈良公... 続きをみる
春日大社 奈良県奈良市春日野町 奈良市、特に春日大社、東大寺、興福寺や奈良公園を中心に見られる鹿は奈良のシンボル的存在です。 人によく馴れ、奈良公園周辺の路上売店で売られている鹿せんべい を貰う際にお辞儀する愛らしい仕草を見せる奈良の鹿は古来から飼われているものではなく野性種です。 もともと古来よ... 続きをみる
西大寺 奈良県奈良市西大寺芝町 この西大寺を取材したのは今から約7年前です。 この西大寺から近い大和西大寺駅前で衝撃的な事件が起きました。 忘れもしない あの2022年7月8日、日中にこの惨劇を知ったぼくは、残業を終えて急いで帰宅し、静岡発〜大阪行きの夜間高速バスに乗り、京都駅前で降車。始発の奈良... 続きをみる
唐招提寺 鑑真和上 開山御廟 奈良県奈良市五条町 奈良時代になり、日本に仏教かがもたらされて約200年の年月が流れました。 仏教の教えにおいて、守らなければならない掟が戒律です。 戒とは内面性の道徳規範のことで、悪事を働いたりしない、善行を行い、他者に尽くす。といったもので、律とは、 教団で守らな... 続きをみる
唐招提寺 戒壇 奈良県奈良市五条町 戒壇は、唐招提寺創建時に造営されたものとして伝わり、火災により焼失し、その後、宝塔が再建されています。 754年 天平勝宝6年、鑑真和上は、戒律を授ける戒匠として来日後、東大寺において聖武天皇をはじめ、400名の僧侶に受戒の儀式を行いました。 来日から約5年、一... 続きをみる
唐招提寺 鼓楼 舎利殿 奈良県奈良市五条町 鼓楼は、低い二階建ての建物で、当時は経典を納める経楼として造立されたものの、鑑真和上が亡くなると一階には鑑真和上の舎利(遺骨)が納められることになり、舎利殿とも呼ばれます。 老朽化で鎌倉時代に再建されて鼓楼と呼称されるようになりました。 鑑真和上が命懸け... 続きをみる
唐招提寺 講堂 奈良県奈良市五条町 唐招提寺 講堂は、760年 天平宝字4年、鑑真和上が唐招提寺を創建するにあわせて天武天皇の皇子、新田部親王の邸宅跡を聖武天皇から賜わり、戒律の道場として創建します。 講堂は、平城宮 朝堂院の 東朝集殿を移築したものと伝わり、奈良 天平時代の貴重な宮殿建築です。 ... 続きをみる
唐招提寺 金堂 奈良県奈良市五条町 唐招提寺の南大門を正面に進むと天平建築の一大傑作ともいえる金堂に突き当ります。 厚な本瓦葺の屋根、正面からは横一列に並ぶ大柱はかすかな胴張(エンタシス)をもつ寄棟造の建築は、日本の招きに応じようと、5度の渡海の失敗にも諦めず、失明の末に6度目の渡海で日本に辿り着... 続きをみる
聖武天皇 御陵 奈良県奈良市法蓮町 第45代、聖武天皇は、飛鳥時代末の女帝 持統天皇を祖母に持ち、仏教に深く帰依した25年に及ぶ治世の中で、四度の遷都と東大寺の創建と大仏造立に代表される全国総国分寺、国分尼寺建立の詔を発譜しての寺院建立に情熱を傾けました。 聖武天皇の深い仏教の傾斜は、父 文武天皇... 続きをみる
喜光寺 奈良県奈良市菅原町 喜光寺は、奈良時代初期に東大寺造立に貢献した行基が721年 養老5年に創建しました。 東大寺の大仏殿造立にあたって、行基は喜光寺の本堂を参考に造立を行ったことから、試みの大仏殿と呼ばれます。 架橋や灌漑土木による水田のための池の工事など、布教に留まらない行基の行動は民衆... 続きをみる
行基 像 奈良県奈良市 近鉄奈良駅前 668年 天智7年、飛鳥時代末期に河内(現在の大阪府堺市)に生をうけた行基は、15歳で仏門に入りました。 行基は、この時代の僧侶の多くにある寺院の中で経を唱え、布施を受けるようなことはせず、全国を自らの足で歩き、民衆に寄り添う僧侶でした。 仏門の道を説き、流行... 続きをみる
東大寺 二月堂 奈良県奈良市雑司町 東大寺 二月堂は、大仏殿を見下ろす東の高台に建立された懸崖造(けんがいづくり)で、奈良に春を告げる本尊、十一面観音の修二会(しゅにえ~お水取り)が行われる伽藍です。 西に向けて舞台の様にせり出した回廊からは、眼下に奈良市内をはじめ、生駒山まで望めるビュースポット... 続きをみる
東大寺 転害門 奈良県奈良市雑司町 正倉院の西、現在は東大寺境内の枠から外れた場所にひっそりと建つ転害門は、762年 天平宝字6年 造営と伝わる東大寺創建以来の建物で、1180年 治承4年 平安末期の平家の南都焼き討ち、1567年永禄9年 室町末期 戦国時代の松永 三好の戦いによる兵火の延焼を免れ... 続きをみる
東大寺 閼伽井屋(あかいや) 奈良県奈良市雑司町 閼伽井屋は、毎年 三月十二日 午前1時過ぎより、二月堂で修二会を始めるあたり、屋内の井戸より水をくみ取り、御香水(閼伽水~あかみず)として本尊 十一面観音にお供えするための儀式を行う場所で、752年 天平勝宝4年に当時の実忠和尚が初めて修二会をはじ... 続きをみる
東大寺 講堂跡 奈良県奈良市雑司町 講堂は、僧が説法を行ったり、講義、勉強を行うための建物で、東大寺の講堂は、大仏殿の裏手(大仏殿の北側)に建立され、回廊を通じて繋がってました。 講堂は917年 延喜17年に火災、1180年治承4年に平家による南都焼き討ちにより焼失、さらに1508年永正5年にも火... 続きをみる
戒壇院 山門 戒壇堂 〜(現在は耐震工事中で拝観停止中です。この写真の撮影は2017年12月当時のものです。) 戒壇院 境内 奈良時代になり、日本に仏教かがもたらされて約200年の年月が流れました。 仏教の教えにおいて、守らなければならない掟が戒律です。 戒とは内面性の道徳規範のことで、悪事を働い... 続きをみる
東大寺 法華堂【三月堂】 奈良県奈良市雑司町東大寺 法華堂は、東大寺の前身となった金鐘寺の遺構で、現存する東大寺最古の伽藍です。 日本で初めて法華経が講じられた建物で、内部は入母屋造りの礼堂(らいどう)と天平建築の寄棟造の本堂の二堂からなります。 これは、本尊の不空繭索観音像(ふくうけんじゃくかん... 続きをみる
東大寺 南大門 金剛力士立像 阿形 金剛力士立像 吽形 東大寺 南大門 金剛力士立像 阿形、吽形 奈良県奈良市雑司町東大寺 南大門両側に睨みを効かせる金剛力士立像は、東大寺の守護像として、平安時代に倒壊してしまった南大門の修復を、1203年、建仁3年に東大寺再建と共に進められることになり、鎌倉幕府... 続きをみる
東大寺 南大門 奈良県奈良市雑司町 東大寺の入口となる南大門は、創建後に平安時代の962年、応和2年に風により倒壊し、その巨大な構造もあって 東大寺は しばらく南大門の無い状態が続きました。 治承4年12月28日、(1181年1月15日)、平家による南都焼き討ちにより東大寺は大仏殿をはじめ、伽藍の... 続きをみる
東大寺 大仏殿(金堂) 奈良県奈良市雑司町 東大寺 大仏殿は、奈良時代前期の747年 天平19年、聖武天皇の大仏造立の詔(みことのり)により、盧舎那仏(大仏)の造立とほぼ同時に紫香楽(しがらき)宮で建築が始まりました。 ただ、聖武天皇による紫香楽(しがらき)宮は平城京遷都し、現在の地にて大仏造立と... 続きをみる
東大寺 盧舎那仏坐像 奈良県奈良市雑司町 奈良と聞くと、何を思い浮かぶでしょうか。 多くの人が大仏様や鹿を思い浮かぶでしょう。 国宝にして世界遺産に登録された東大寺の大仏様です。 正しくは、銅造 盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)といいます。 盧舎那仏は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏の意味を... 続きをみる
平城宮跡 朱雀門 奈良県奈良市佐紀町 710年 和銅3年 女帝 元明天皇が飛鳥、藤原京から現在の奈良市佐紀の平地に築いた平城京に遷都し、奈良時代が始まりました。 平城京遷都の詔(みことのり)は、708年 和銅 元年、先代の文武天皇が発願し、唐の都、長安を参考に準備を進められました。 新都 平城京は... 続きをみる
平城宮跡 大極殿 奈良県奈良市佐紀町 710年 和銅3年の藤原京から、784年 延暦3年の長岡京に遷都するまでの74年間に渡る国政を担った平城京において、大極殿は天皇の即位式や数多くの儀式を執り行う最も重要な建物でした。 大極殿は大内裏の朝堂院の北端の中央に位置し、殿内には高御座(たかみくら)が据... 続きをみる
天武 持統 天皇御陵 奈良県高市郡明日香村野口 第40代、天武天皇は古代最大の内乱、壬申の乱(じんしんのらん)を征して天皇となりました。 天武天皇は、日本史上の政治大改革となった大化の改新の始まりとなる乙巳の変(いっしのへん)を成し遂げた天智天皇の皇太弟で、当時は大海人皇子(おおあまのおうじ)と名... 続きをみる
玄奘三蔵法師像 奈良県奈良市西ノ京町 薬師寺 玄奘三蔵院伽藍 〜玄奘(げんじょう)三蔵法師〜 三蔵法師といえば、日本では西遊記で知られる経典を天竺(主に現在のインド)まで求める旅をした隋国(主に現在の中国)の僧侶ですが、 三蔵とは…〜釈迦の教えとなる【経】。 仏門に入った者が守る法〜... 続きをみる
玄奘三蔵院伽藍 奈良県奈良市西ノ京町 薬師寺 玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん) 玄奘(げんじょう)三蔵は、西遊記で有名な三蔵法師の名で実在した人物です。 (ただし、猿の孫悟空や豚の猪八戒らを従えての旅ではありませんでしたが…。) 玄奘三蔵は唐(現在の中国)の生まれで、日本の飛鳥時... 続きをみる
薬師寺 不動堂 奈良県奈良市西の京町 薬師寺 薬師寺 不動堂は、金堂や東塔、西塔など、白鳳伽藍が並ぶ北西部に、平安時代に建立された堂宇で、本尊である不動明王像が安置され、修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の神変大菩薩、山岳仏教である修験道の本尊、蔵王権現を祀っています。 不動明王像 不動... 続きをみる
薬師寺 食堂 奈良県奈良市西ノ京町 薬師寺食堂(じきどう)は、その名前の通り、薬師寺の僧が斎食を取る建物で、730年 天平2年に造営されました。 食事以外にも仏教儀礼を行う場所としても使わ れ、一度に300名の僧がお斎(おとき~僧の食事のこと)ができる当時の建物は、東大寺、大安寺に次ぐ規模を誇りま... 続きをみる
薬師寺 東院堂 奈良県奈良市西ノ京町 全面改修されて落慶となった東塔の東側、回廊の影になるように、ひっそりと佇む平屋の入母屋造り和様建築の伽藍が東院堂です。 東院堂は養老年間 717~724年 に建立された伽藍で、後に長屋王の変で自害する王妃 吉備内親王が元正天皇の冥福を祈り建立したもので、平安時... 続きをみる
薬師寺 東塔 奈良県奈良市西の京町 680年、天武天皇9年の飛鳥時代後期 天武天皇が皇后である鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ〜後の持統天皇)の病気平癒を願って創建を夢見た薬師寺は、規模の壮大さから実現までに時間を要したため、計らずも天武天皇が崩御し、皇后の持統天皇が意志を受け継いで造立を進め... 続きをみる
薬師寺 西塔 奈良県奈良市西ノ京町 薬師寺は飛鳥時代末期の680年 天武天皇9年、天武天皇が病に苦しむ皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し建立を命じますが、創建を見ずに祈願した天武天皇が686年に崩御します。 病の癒えた皇后は天武天皇の後を継ぎ、持統天皇として即位し、天武天皇が建立を命じた薬師寺... 続きをみる
薬師寺 大講堂 奈良県奈良市西ノ京町 薬師寺 大講堂は、当時 講堂として、692年 持統天皇6年、天武天皇の後を継ぐ形で即位した 持統天皇が飛鳥 浄原の地に造営を命じて、本尊に阿弥陀大繍仏を安置した伽藍で、その後 都が藤原京に遷都されると薬師寺も藤原京に移りました。 大講堂は、薬師寺の金堂などがあ... 続きをみる
薬師寺 金堂 奈良県奈良市西ノ京町 天皇を頂点にした中央集権国家を目指した 大化の改新を主導した天智天皇。 その天智天皇の後継者をめぐる戦い〜壬申の乱(じんしんのらん)に勝利して即位し、飛鳥浄御原令を制定し絶大な権力を持った天武天皇。 薬師寺は飛鳥時代末期の680年 天武天皇9年、天武天皇が病に苦... 続きをみる
藤原宮跡 奈良県橿原市高殿町 藤原宮跡は、日本初の都城制の都、藤原京の中心宮殿として内裏、大極殿、朝堂院といった宮殿を中心に配置されていました。 都城制の都の建設は40代 天武天皇の悲願で、天武天皇治世下に始まりましたが、病気がちの天武天皇は都の完成を見ることなく崩御し、皇后だった讃良皇女が即位し... 続きをみる
飛鳥浄御原宮(あすか きよみはらきゅう)跡 奈良県高市郡明日香村 大字 岡 672年9月(天武元年9月) 戦勝した大海人皇子は飛鳥に凱旋しました。 この年の暮れには、母であった斎明女帝の王宮跡に新たな宮室(おおみや)を造営します。 これが天武天皇の皇居となる飛鳥浄御原宮です。 翌年の673年(天武... 続きをみる
壬申の乱 古戦場 勢多橋の戦跡碑 滋賀県大津市鳥居川町 御霊神社 大海人皇子の吉野入りと脱出 671年 天智10年10月17日、出家した大海人皇子は近江宮を出立し、南下して宇治を経て飛鳥、島宮で休息、宿泊し19日には飛鳥を離れ隠棲の地、吉野山中を目指します。 皇子は、妃(きさき)である鵜野讚良皇女... 続きをみる
三笠霊苑 不動心 安倍晋三元総理大臣慰霊碑 奈良県奈良市川上町三笠霊苑 あれから3年となります。 3年前の2022年7月8日、安倍晋三元内閣総理大臣が奈良市、近鉄大和西大寺駅前で選挙応援演説中に無職の山上徹也に背後から手製の銃により発砲を受け、同日の午後5時3分、死亡確認されました。 安倍晋三元総... 続きをみる
世に有名な聖徳太子の… ~和をもって貴(とうと)しと為(な)す~ この一文は、日本初の憲法となった十七条憲法の第一条の序文の一節となります。 一に曰(いわ)く、 和をもって貴しと為す、 逆らうことなきを宗とせよ。 人は皆、党(たむろ)あり。 また、達(さと)れる者少なし。 ここをもっ... 続きをみる
飛鳥水落遺跡 奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥水落遺跡は、専横を極めた蘇我入鹿を討ち倒して天皇家の実権を取り戻した中大兄皇子(後の天智天皇)が660年、斉明天皇6年に日本で初めて造った漏刻と呼ばれる時計(水時計)の跡地です。 宮殿に合計…245本の柱の径に沿って堀が掘られ、中に貼石を敷... 続きをみる
興福寺 北円堂 奈良県奈良市登大路町 興福寺 北円堂は、藤原不比等の没後一周忌の721年 養老5年に元明天皇が命じて創建された八角円堂で、平安時代末期の源平争乱の最中に平 重衡の軍勢により焼失し、その後、1210年 承元4年に再建されたものです。 興福寺 南円堂 奈良県奈良市登大路町 南円堂は、藤... 続きをみる
興福寺 東金堂 興福寺 五重塔 興福寺 奈良県奈良市登大路町 興福寺は、中臣(藤原)鎌足の夫人 鏡女王が病に臥した夫、鎌足の回復を願って山城国(現在の京都)に657年 斎明天皇8年に造営させた山階寺が始まりです。 鎌足の死後、飛鳥に厩坂寺として移転、さらに都が平城京に遷都されると鎌足の子、不比等に... 続きをみる
相撲神社 奈良県桜井市穴師 今場所で優勝を決めた大の里関、場所後の横綱昇進が確実視され、来場所には東西の横綱が揃い踏みということになりますね。 由来は、11代垂仁天皇の治世。 野見宿禰(のみすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の両者による天覧試合がこの地で行われました。 日本の国技である相撲。 日... 続きをみる
談山神社 奈良県桜井市多武峯 孝徳天皇が崩御すると、皇位に就いたのは先代の帝である皇極女帝でした。 皇極は中大兄皇子らの主導で蘇我入鹿征伐による乙巳の変(いっしのへん)をもって為された譲位(生前退位)と今回の皇位返り咲きとも言う重祚と、皇統史上初の先例を作った女帝となりました。 女帝は皇極の名で譲... 続きをみる
談山神社 奈良県 桜井市 多武峯(とうのみね) 御破裂山 (ごはれつざん) 奈良県 桜井市 多武峯 皇極女帝が御簾を隔てた玉座に御わす宮中にて蘇我入鹿を斬首し、政変を演出してみせた中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足。 次いで二人は、皇太子と臣下という立場に落ち着きます。 中大兄皇子は皇極女帝によ... 続きをみる
箸中長者屋敷跡 奈良県桜井市箸中 邪馬台国の女王 卑弥呼の墓とも伝わる箸墓古墳に隣接する箸中の集落は上街道と呼ばれる街道が走り、奈良の興福寺近くの猿沢の池から桜井の慈恩寺まで繋がり、山道を縫う山之辺の道とは違い、比較的 平坦な道のため、長谷寺参りに往復する平安貴族も利用するなど、多くの人々が行き交... 続きをみる
談山神社 奈良県桜井市多武峯 御破裂山〜藤原釜足公 墓所 奈良県桜井市多武峯 飛鳥時代中期… 645年(皇極天皇4年)6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足の二人による主導により始められた政変劇【乙巳の変〜いっしのへん】は、天皇を凌ぐ絶大な権力者だった蘇我入鹿を飛鳥宮の宮中... 続きをみる
三輪そうめん (万直し本店、奈良 桜井市) 万直し本店 奈良県桜井市三輪 きつねにゅうめん 日本の麺料理のルーツともいえる[そうめん]。 今から約1200年の昔、日本最古の神社、大神神社(おおみわ神社)の神孫と言われる大田田根子(おおたたねこ)の子孫、狭井久佐の次男〜穀主が神の啓示を受け、小麦を三... 続きをみる
飛鳥板蓋宮跡(あすかいたぶきのみやあと) 奈良県高市郡明日香村 岡 摂政 聖徳太子(厩戸皇子)が622年(推古天皇30年)に流行病により死去すると、大臣を務める蘇我氏が横暴な権勢を振るい始めました。 推古女帝の崩御の後を継いだ舒明天皇が13年の治世で崩御すると、翌年の642年(皇極天皇元年)に舒明... 続きをみる
蘇我入鹿 首塚 奈良県高市郡明日香村飛鳥 643年 皇極2年 蘇我入鹿は、自らの権力をさらに大きくすべく、聖徳太子の皇子で、有力な皇位継承資格者であった山背大兄王を斑鳩宮で襲撃します。 父、聖徳太子から、【諸の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸の善を行え。】と遺言を遺された 山背大兄王は戦うことを... 続きをみる
談山 奈良県桜井市多武峰(とうのみね) 摂政 聖徳太子(厩戸皇子)が622年(推古天皇30年)に流行病により死去すると、大臣を務める蘇我氏が横暴な権勢を振るい始めます。 推古女帝の崩御の後を継いだ舒明天皇が13年の治世で崩御すると、翌年の642年(皇極天皇元年)に舒明帝の皇后が「皇極天皇」(こうぎ... 続きをみる
法起寺 奈良県生駒郡斑鳩町岡本 法起寺は、聖徳太子摂政による推古朝の時代、仏教を精力的に取り入れた太子が自ら法華経を講説した岡本宮が起原となります。 太子の法華経講説より十数年、622年 2月22日、流行り病に伏した太子は、死期を悟り、枕頭に嫡子 山背大兄王を呼び、岡本宮を改めて寺にすることを遺命... 続きをみる
匠の里 西里 奈良県生駒郡 法隆寺町 天下人を支えた大工棟梁の集落 法隆寺の西隣には、築地塀の邸宅群がいまも残ります。 この辺りの集落は、西里といい、昔は法隆寺の宮大工が住んだ集落でした。 飛鳥時代、聖徳太子により創建した法隆寺は、西里の宮大工らによって手直しを受けながら その姿を現代の私達に残す... 続きをみる
伝 山背大兄王 墓所 富郷陵 参考地 奈良県生駒郡斑鳩町三井 推古朝で摂政を務めた聖徳太子の皇子 山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、622年 推古30年、太子の死後、有力な皇位継承者となりました。 山背大兄王の一族は上宮王家と呼ばれ、蘇我氏と皇位継承者の擁立を巡り、暗闘が続きます。 蘇我馬子... 続きをみる
法輪寺 奈良県生駒郡斑鳩町 三井 法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔とも言われる法輪寺は、聖徳太子の皇子、山背大兄王が622年 推古30年、病に伏した太子の病気平癒を願い建立しました。 その後、推古朝から天武朝時代にかけて法隆寺西院と同じ形式で伽藍を整えました。 平安時代から室町時代に諸堂を完備して寺... 続きをみる
大伴夫人(藤原鎌足 母)墓所 奈良県高市郡明日香村小原 大伴夫人は、藤原(中臣)鎌足の生母で、彼女の家の大伴家は、神武天皇が八咫鳥に導かれて大和の地に入った際に、神武を先導し、橿原宮で即位すると宮門を警護した道臣命(みちのおみのみこと)を祖先に持つ家柄で、以降 代々 朝廷の兵士を束ねる役割りを担い... 続きをみる
中臣鎌足 誕生地 奈良県高市郡 明日香村小原 後に朝廷の最高権力者となる藤原氏の祖、中臣(藤原)鎌足は、614年 (推古天皇22年)に飛鳥の大原(現在の明日香村小原)の地で、鎌足の一族は祭官(祭司、当時の国の役人)として仕える中臣氏の家に生まれました。 若い頃から儒学を学び、秀才の名をほしいま... 続きをみる
中宮寺 奈良県生駒郡斑鳩町 法隆寺北 中宮寺は、法隆寺東院のさらに東の斑鳩宮の隣接地に聖徳太子が母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために創建した寺です。 僧寺である法隆寺、中宮寺は尼寺として創建され、塔と金堂が建立されたといいます。 微笑を浮かべながら軽く頬杖をついて瞑想する姿の本尊 国宝... 続きをみる
橘 寺 奈良県高市郡明日香村 橘 聖徳太子、誕生の地と伝わる橘寺は、太子の父 用明天皇の上宮〜上宮(かみつみや)が置かれていた地で、正式名称を上宮皇院菩提寺といい、その昔、用明、推古、敏達、崇峻の四名の帝の父君であられた欽明天皇の離宮でありました。 太子の母である皇后 穴穂部間人(あなほべの... 続きをみる
歴史紀行 地域版 1 三井(みい~赤染井)奈良県 歴史紀行 地域版 このカテゴリーでは、地図や旅行誌に載らないような…でも、地域の歴史に残ってるような史跡を紹介します。 三井 (みい~秋染の井) 奈良県生駒郡斑鳩町三井 世界遺産 法隆寺から東へ約2キロ。 聖徳太子の皇子 山背大兄王が... 続きをみる
神武天皇 御像 静岡県焼津市焼津 焼津神社 初代天皇で在らせられる神武天皇は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御孫で天孫降臨により地上に降りた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の3代目にあたり、神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)といいます。 皇后は、事代主神(大物主神... 続きをみる
聖徳太子 【厩戸皇子】御像 奈良県桜井市三輪 平等寺 聖徳太子は、飛鳥時代の皇族の1人で、574年 敏達天皇3年、用明天皇の第二皇子として生まれ、后が厩の前で産気づき、太子を出産したため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。 聖徳太子の名は、諡名(おくりな)として、逝去後に贈られた名前です... 続きをみる
法隆寺 東院伽藍 夢殿 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 601年、推古天皇9年、 聖徳太子は推古朝の皇居のある飛鳥から、推し奨めようとしていた仏教による新しい国造りのための場所を探しました。 そして飛鳥の村から北西にある斑鳩の里に約束の地を見つけました。 斑鳩の里で下馬した太子は、自らの理想を... 続きをみる
法隆寺 東院伽藍 伝法堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 東院伽藍の中で、平屋建ての住宅のような堂が伝法堂です。 それも そのはずで、伝法堂は、奈良時代の聖武天皇の后である橘古那可智(たちばなの こなかち)妃の住居が移築奉納されたものだからです。 東院の過去帳でもある東院資材帳には、瓦葺きの講... 続きをみる
法隆寺 東院 鐘楼 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 ニ階式の東院鐘楼は、下階の部分が袴を穿いたような鐘楼で、袴腰付鐘楼と呼ばれ、中世 鎌倉時代に流行した造りで、東院鐘楼は平安時代後期の1163年 応保3年に建立の記録があり、その最古のものと言われてます。 鐘楼二階に天平時代に鋳造された梵鐘が吊... 続きをみる
法隆寺 東院伽藍 絵殿、舎利殿 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 絵殿(左)、舎利殿(右) 舎利殿 絵殿 馬道(めどう) 絵殿、舎利殿は、東院伽藍、夢殿の北にある伽藍で、檜皮葺の屋根に建物はひとつの伽藍でありながら2つの役割を持ちます。 左の絵殿は名前の通り内部には聖徳太子の生涯一代記を描いた障... 続きをみる
世界遺産 法隆寺 東院伽藍 礼堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 東院伽藍 601年 推古9年2月、聖徳太子は斑鳩の地に宮殿を建設します。 宮殿を飛鳥から斑鳩へと移した太子は、伝来して間もない仏教による平和国家の実現へと日夜思案を重ね、身仏の加護を信じ、慈悲を願い、祈りを続けました。 礼堂(ら... 続きをみる
法隆寺 上御堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 上御堂は西院伽藍の境内の北、大講堂の背後の高台に建つ御堂で、天武天皇の皇子 舎人(とねり)親王による創建とも伝わります。 平安時代に台風のために2度、倒壊の被害を受け、再建は鎌倉時代末期の1318年 文保2年で、内部は瓦敷きの土間に釈迦如来坐像、... 続きをみる
世界遺産 法隆寺 西大門 奈良県生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 法隆寺 西大門は、世界遺産、国宝の伽藍が多く建つ西院伽藍のさらに西の門で、門の外にはかつて法隆寺伽藍の建築、改築、修繕に従事した宮大工、装飾職人らが住んだ西里の集落があります。 西里の集落 この集落からは、豊臣秀吉に見出され、大坂城や... 続きをみる
法隆寺 東大門 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺 山内 東大門 西院伽藍を抜け、宝物庫である大宝蔵院を越えると東西に通る参道に出ます。 参道を東に向かうと法隆寺 東院です。 東大門は西院と東院とを結ぶ石畳の参道が東西に広がり、西院伽藍の先に西大門、そこから約300メートル東の門です。 東大門築地塀 ... 続きをみる
法隆寺 食堂(じきどう)左と細殿(右) 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 東西に細長い2棟の建物が並ぶのが、食堂と細殿です。 同規模の建物が並び、一組のように接している建物を双堂(ならびどう)といい、奥行きを大きく取る奈良時代の手法です。 食堂は文字通り僧たちの食事の場で、堂内中央に須弥壇(し... 続きをみる
正岡子規 法隆寺句碑 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 〜法隆寺の茶店に憩ひて 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺〜 聖霊院前の鏡池のほとり、明治後期の俳人、 正岡子規の詠んだ世に有名な法隆寺句碑があります。 風化してしまい、残念ながら句碑も読み取ることも困難です。 俳人 正岡子規 短歌、俳句において、後... 続きをみる
世界遺産 法隆寺 聖霊院 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 金堂、五重塔という西院伽藍の廻廊の東に位置する聖霊院は、平安時代に全国に広まった太子信仰の中心をなす伽藍です。 平安時代の後期、1121年 保安2年、聖徳太子の500年遠忌の前年に先立ち、太子信仰はより高まりをみせたことを受け、法隆寺では東室... 続きをみる
世界遺産 法隆寺 綱封蔵 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 綱封蔵(こうふうぞう)という聞き慣れない名前の由来は、かつては勅命でなけれぱ開くことが出来なかった倉のことです。 綱封蔵は二つの倉が一つの屋根で覆われ、なお中央が吹き抜けで、高床式となった特徴的な建物です。 これは中央部が吹き放しになった「双... 続きをみる
法隆寺 妻室 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 妻室は、中庭を隔てた東室に付属する建物で、本来の名称は〜東室小子房〜といい、現在唯一残る貴重な建物です。 1601年 慶長6年の改築の際に、南北の長さが約3分の2に縮小され、南半分が聖霊院の御供所、北半分が東室の台所にされました。 現在は当初の9房の姿に... 続きをみる
法隆寺 東室 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 東室 法隆寺の僧たちの居住空間は僧房と呼ばれ、747年、天平19年に法隆寺資材帳に記された4つの僧房があり、かつては西院伽藍の廻廊を囲んで東室、西室、北室と3ヶ所ありました。 現在は三経院と棟続きの西室と、廻廊の東側に南北に細長い建物の東室だけが残され、... 続きをみる