歴史紀行 特別編 41 ‐ 5 226事件 5

226 事件 慰霊碑
東京都渋谷区宇田川町
1868年 明治元年
明治維新が成り、戊辰戦争が終結し、武士の世が終わりへ向けて歩み出そうとする中、明治4年に新政府は日本陸軍の創設を草案します。
陸軍という国軍の創設は、戦うことを生業(職業)とし、農民らの年貢により禄(収入)を得る武士という階級の者を根底から排除するもので、この動きは更に廃藩置県により広がり、全国の地方〜とりわけ維新の成就に多大な貢献を果たした薩摩、長州などの江戸幕府の倒幕派諸藩の士族らが反発し、長州、佐賀などで反乱が相次ぎ、大日本帝国陸軍の初陣は、士族による内乱と言える明治7年の佐賀の乱でした。
そして日本最後の内乱となる旧薩摩藩の士族らが西郷隆盛を担いで決起した西南戦争は、官軍の指揮官は旧士族が大半を占めたものの、末端の兵は徴兵で軍に加わった者や、かつての戊辰戦争で辛酸をなめた旧幕府軍側の士族、さらに後の歴史に名を晒す者の姿もありました。
その中には、元新選組隊士の斎藤一や、会津藩家老の佐川官兵衛、昭和天皇の養育係を務める川村純義、太平洋戦争当時の首相〜東條英機の父、英教らが加わりました。
徴兵制度は、農村の次男、三男ら男子にとって、魅力のある制度でした。
国から給与が出るという、ある程度の収入が見込める点と、戦時には命の危険が伴うものの、不作の年は常に一家全ての生命すら危うくなる家業よりは楽という事に尽きます。
農村、漁村の若者が軍という組織に組み込まれた先に、生活苦の実家という背景が併せ合った複雑な状況も226事件の動機の一部になります。
6に続きます。
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