歴史紀行 35 ‐ 3 壬申の乱 古戦場 3

壬申の乱 勢多橋の戦跡碑
滋賀県大津市鳥居川町 御霊神社
672年6月25日
大友皇子の近江朝の監視下にあった大海人皇子が吉野を発ち、向かったのは東でした。
自身の影響下にある地域の豪族に声をかけて挙兵を促し、鈴鹿に着く頃には500もの兵を集め、山道を封鎖しました。
この日は雷雨となって寒さも厳しくなり、皇子の挙兵に伴い同行した鵜野皇女(後の持統天皇)の疲労が激しくなり、家屋を焼いて暖をとり、寒さを凌ぎました。
6月26日
大海人皇子は近江宮を脱出した大津皇子と合流し、と迹太川(とほがわ〜現在の四日市市の海蔵川)にて天照大神に遥拝します。
皇子の忠臣、村国男依が率いた先遣隊が美濃の兵により不破の関(岐阜県、関ケ原町)を封鎖したと報告します。


桃配山
岐阜県 不破郡 関ケ原町 大字野上
この不破の関は、後に整備される北に北国街道、南に伊勢街道、東西を中山道が貫く交通の要所となる場所で、極めて重要な関でした。
この不破の関を押さえた先遣隊の兵を労い、皇子が桃を配ったのが桃配山です。
この約千年の後、関ヶ原の戦いで徳川家康が最初に布陣したのが桃配山です。
この日の夜になり、近江宮の大友皇子の元に大海人皇子の吉野脱出が報じられました。
完全に後手に回った近江朝は対策を話し合います。
近江朝は飛鳥、吉備、筑紫、そして東国へ兵力動員のための使者を送ります。
4に続きます。
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