歴史紀行 10 日本武尊 尊【倭建命】像

日本武尊命 像
静岡県静岡市清水区馬走
ぼくの住む静岡県には、日本武尊の像が各地に、また伝説も残されています。
日本武尊【やまとたける~倭建命】は、今から1800年以上 昔の天皇~第12代景行天皇の皇子(次男)として生まれました。
古事記では、兄の大碓皇子が景行天皇から寵姫を奪ったことが日本武尊の悲劇の発端となります。
景行天皇は日本武尊に兄を諭しなさいと天皇は指示しますが、誤解した日本武尊は兄を殺して戻り、日本武尊を恐れた景行天皇は九州へ赴き熊襲(くまそ)征伐を命じました。
日本書紀では九州で天皇に背いて再度反乱が起きたため、と記されていますが、当時10代の少年だった日本武尊の初陣として熊襲征伐が記録されています。
日本武尊は美少年だったことから女装して熊襲の集落に侵入し、たちまち熊襲を討ち果たして凱旋します。
ぼくの住む静岡県には、日本武尊の像が各地に、また伝説も残されています。
日本武尊【やまとたける~倭建命】は、今から1800年以上 昔の天皇~第12代景行天皇の皇子(次男)として生まれました。
古事記では、兄の大碓皇子が景行天皇から寵姫を奪ったことが日本武尊の悲劇の発端となります。
景行天皇は日本武尊に兄を諭しなさいと天皇は指示しますが、誤解した日本武尊は兄を殺して戻り、日本武尊を恐れた景行天皇は九州へ赴き熊襲(くまそ)征伐を命じました。
日本書紀では九州で天皇に背いて再度反乱が起きたため、と記されていますが、当時10代の少年だった日本武尊の初陣として熊襲征伐が記録されています。
日本武尊は美少年だったことから女装して熊襲の集落に侵入し、たちまち熊襲を討ち果たして凱旋します。
天皇に背いた熊襲を討ち果たして九州から凱旋した日本武尊ですが、景行天皇は時を置かずに日本武尊に東国の蝦夷(えみし)が叛いたために平定に赴くように命じました。
天皇の命じるまま、日本武尊は発ち、
東国への道中、皇大神宮(伊勢神宮)を守る叔母にあたる倭姫命(やまとひめのみこと)から神剣~天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を授けられます。
この剣こそ神話の時代、スサノオノミコトが出雲国で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した際に尾から見つかったという天叢雲剣です。
九州で熊襲討伐を果たした日本武尊は、父 景行天皇の命により東国の蝦夷討伐へと向かいます。
途中、伊勢の皇大神宮(伊勢神宮)を守る叔母の倭姫命から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を賜り、もしもの時に開けなさいと小袋を渡されました。
駿河国にたどり着いた日本武尊は、武尊に従うと誓った土地の豪族から、~この野には大鹿が多く、その吐く息は朝霧のようで、足は若木のようです。おいでになって狩りをなさいませ~と勧められます。
日本武尊は豪族の言葉を信じて、野に入って狩りを始めていると、豪族らは武尊を焼き殺そうと野に火を放ちました。
武尊は欺かれたことを悟り、小袋から取り出した火打ち石で火をつけ、迎え火をつくり、周囲の草をなぎ払って難を逃れました。

鞍下ヶ谷
日本武尊が豪族から欺かれたことを悟り、馬の鞍から降りたと伝わります。
迎え火と天叢雲剣で草をなぎ払って難を逃れ、豪族らを追い詰めて討伐した日本武尊は剣を草薙の剣と名を改めました。
日本武尊は尾張国造家に入り、美夜受比売(みやずひめ)と婚約をして東国へ赴き、数々の苦難の末に東国の蝦夷討伐を果たします。
日本武尊は凱旋の途中で将来を約束した美夜受比売と結ばれた後、素手で伊吹山の神を退治してやろうと草薙の剣を置いて近江の伊吹山の神と対決に向かいます。
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